FC町田ゼルビア(蒼き彼方に)

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<<   作成日時 : 2012/03/11 01:25   >>

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あの忌まわしい日から一年・・・
誰に見せるでもなく、自分の記憶のため、あの日の記録を残しておこう・

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2011年3月11日、金曜の午後、僕はいつものように会社にいた。トイレに行って用を足し、洗面所で手を洗ってトイレを出た時だった。

午後2時46分。

突然小刻みに揺さぶるような揺れを感じた。壁や天井からギシギシという不気味な音が聞こえてきた。そのあと、横方向に大きな揺れが来た。強い地震だ、これは大きいぞ!

僕のオフィスは、川崎市内の37階建てビルの32階にある。高層ビルの揺れは、横方向に振幅がこんなに大きいのか。思わず壁に身を寄せて、立膝をついた。近くで防火扉がギーギーと大きな音を立てている。館内放送からの緊張したサイレン音が耳を刺す。

まだ揺れている。いや、まだ揺れている。・・長い。なんて長い時間揺れているんだ。しかも横方向にものすごい距離を移動している。1m?2m?いや、もっと長い距離を左右に移動しているように感じる。こんなに揺れて、このビルは倒れたりしないだろうか・・・

みんなは大丈夫だろうか?壁をつたって少しずつ進んで、オフィスに向かった。オフィスではみんな低い姿勢で、壁やキャビネットに見を寄せていた。電気が止まったのか、暗くなっている。遠くで悲鳴も聞こえた。携帯の地震速報だろうか、あらゆる方向から不気味な警告音がけたたましく聞こえる。館内放送で安全確保を呼びかけている緊張した声が続いている。

ふと窓の外に目をやると、隣の高層マンションが、まるでこんにゃくみたいに左右に揺れている!そうか、このビルもあのマンションと同じようにあんなに揺れているんだな。免震構造というやつは、あえて揺れることで揺れのエネルギーを吸収しているのか?

ようやく揺れが少し収まってきたところで、自分の席に戻った。が、まだ揺れていて、なんだか気持ちが悪い。なんとか気を取り直して部下の安否を確認。しかし、部下の一人が別の階で会議中だが、構内ピッチがつながらず連絡が取れない。

誰かが、携帯のワンセグのスイッチを入れた。なに、東北で震度7だと!関東でも震度6。東北が震源地で津波警報も出ている。これは大ごとだ。大災害だ。

妻は、子供たちは、岩手に一人で住むお袋は無事だろうか?

揺れはまたやってきた。これも大きい。

「あっ、煙だ!」誰かが叫んだ。窓の外を見ると、東京の街のあちこちから黒い煙が上がっている。数えると4箇所だ、今の地震で火災が発生したらしい。お台場方面からも煙が。

館内放送の指示で、皆で居場所確認の操作を行う。自宅へも、妻の携帯にも電話が通じない。情報が欲しくて、僕も携帯のワンセグのスイッチを入れた。

釜石からの実況だという映像が飛び込んできた。「あっ、津波だ!」思わず叫んだ。何人か僕の周りに飛んできて、固唾を飲んで携帯の画像を見つめた。船が流されて陸に乗りあげている。クルマが、何台ものクルマが波に飲み込まれている。僕の周りで皆、言葉を失っている。

これは・・・これは現実なのか?

また揺れた。何度も揺れた。

お袋にも妻にも電話が通じない。ワンセグからは電車は全て止まっていると報じている。これは、今日は帰れないかもしれない。JRは早々と運休を決めた。しかし、こんなに早く運休を決めていいのだろうか。運行再開への努力はしないのか。皆困っているのに、なんとかしようという気はないのか。社会を支えるインフラ、国民の足たる自覚はないのだろうか・・・

館内に、定時前だが帰宅を許可する旨のアナウンス。徒歩で帰宅可能な人達は帰り支度を始めた。しかし停電でエレベータも止まっているため、1階へは階段で降りるしかない。非常階段へ向かう人が次々と続く。

僕の自宅へは会社から30Km近くあり、簡単に歩いて帰れる距離ではない。それに、部下のひとりとまだ連絡取れず、このまま帰るわけにはいかない。

停電のため携帯電話への充電もできず、電池残量が気になってきた。すると誰かが「非常階段にある非常用電源で充電できるぞ!」と叫んだ。皆でテーブルタップを持ち寄り、非常用電源に接続、超タコ足配線、非常用電源の前は充電器の畑と化した。

充電器をセットして一安心。暗くなってきたなぁ。ふと非常階段ホールの窓の外に目をやると、なんと東京湾方面からものすごい火柱が立ち上っている。しかも、千葉方面と横浜方面の二箇所から。あんなに遠くなのに、あんなに高い火柱が!あれは、石油コンビナートの火災に違いない。これは大変だ。

携帯の時刻表示を見ると、午後5時30分をまわっていた。

突然、僕の携帯にメール着信音が。急いでメールを開けると、娘のアドレスからだ。しかし文面は妻からのもので、なんでも地震直後自宅一帯が停電となり、暖も取れず風呂も沸かせず携帯の充電もままならないということで、同じ市内ながら停電していない妻の妹宅に避難していると。子供たちも、妻の両親も、妹一家もみな元気だということで、一安心。しかし、妻も何度も僕のお袋に連絡を取ろうとしているが、まだ安否がわからないらしい。

職場に、連絡が取れなかった部下が戻ってきた。違う階で打ち合わせをしていて地震に遭い、職場に戻るためエレベータの運転が再開するのを待っていたが、しかしいつまでたっても停電が回復しそうもないので、仕方なく非常階段を上ってきたという。

ともかく、無事でなにより。

午後7時を過ぎて、僕のフロアの人数が4分の1くらいになっただろうか。相変わらず首都圏の電車はすべて止まったままだ。そろそろ自分の心配もしないといけない。携帯でつながる限りのビジネスホテルに電話をかけたが、どこも満室。今夜は会社で一夜を過ごすしかないのかな。しかし腹も減ったし、空調も止まって少し冷えてきたし、大丈夫かな。

そう思っていたら、館内に非常食の準備のアナウンス。うちの会社、社員だけでなく地域住民の分も含めて非常食と飲料水を備蓄しているらしい。これをまだ会社に残っている社員に提供するとのこと。しかし、ここは高層ビル。食料の備蓄は地下だ。誰が食料や水を取りに行くんだ?

と思っていたら、いまの世の中でも男気がある奴もいるもんだ。このフロアに残っている人数分の食料を取りに行くとの立候補する者たちが出てきた。数人の若い衆が、勇んで非常階段を降りていった。

ワンセグでは、依然として悲惨な被害の模様を伝えている。携帯の電話もメールも通じない。携帯サイトもつながりにくい。しかし、そんな中でひとつだけ、ほとんどいつもと変わらないメディアというか情報源があった。

それは、Twitterだった。

特にシステムが止まる、あるいは情報が滞る様子もなく、いつものように淡々とツイートが僕の携帯に流れてくる。それによると、やはり今夜の首都圏各地でホテルはほとんど予約できず、各駅でタクシー長蛇の列。主要幹線道路は渋滞で動かず。ただしバスはそれなりに動いているらしい。また、JRはこの日の復旧を完全に諦めたものの。私鉄各線は運行を再開する可能性があると。

電車がダメなら、バスはどうか。綱島か大倉山か新横浜まで行けば、中山行きのバスがある。中山からは十日市場あるいは長津田・青葉台行きのバスがあったはず。そこまで行けば、妻がクルマで迎えに来られる範囲ではないか?

非常食を取りに行った「勇者」たちが、汗だくで戻ってきた。アルファ米というのかな、プラスチックのパックに入った温かいご飯と鶏の唐揚げ、ペットボトルの水が僕にも手渡された。

食べてみると、意外に美味しい。

食べたら、元気が出た。

よし、帰ろう。歩けるところまで、歩こう。

急いで身支度をし、我々のフロアに残っている仲間たちに別れを告げ、夜9時、僕は32階から非常階段を下り始めた。

会社を出て綱島街道に入ると、クルマがびっしりのものすごい渋滞。まったく動かない。しかし歩道にもものすごい人。横浜方面に向けて人の列が帯のように続いている。

僕もその帯の中に入った。人の波がすごく、追い越すことも立ち止まることもできない。この状況、なんだか富士登山を思い起こさせた。皆下を向いて、無言でひたすら歩いている。会社から支給されたらしいヘルメットを装着している人もいる。

この人並みに揉まれ、これはどこの難民か、と思った。僕も難民なのか。

綱島街道沿いは、あかりが点灯しているところと暗いところが交互に出てくる。途中のコンビニは人がいっぱいで、パンやおにぎりなどはほとんどないようだ。日吉駅には、電車の運行再開を期待する人達だろうか、沢山の人がたむろしていた。

綱島街道で時折見かけるバスは、どれも超満員だ。これでは綱島あるいは大倉山からバスに乗るのは無理、新横浜まで行こう。

会社から10Kmほど歩いて、新横浜駅まで来た。新横浜も人でいっぱいだ。とりあえず、バス乗り場を探そう。

ふと、傍らを足早に通りすぎ人達がいた。見ると、横浜市営地下鉄の方面に向かっている。

もしや・・・横浜市営地下鉄の運転が再開するのではないか?そいま通り過ぎたのは、それを察知した人達なのでは?

僕も、地下鉄に向かうことにした。すると、地下鉄の改札が開いていた。地下鉄職員が、いま運転再開に向けて準備していると案内している。

地下鉄のホームに下りた。すでに沢山の人たちが列を作っていた。しかし、列は横浜方面の側であり、あざみ野方面側はまだ少人数だ。

あざみ野方面の乗車口に陣取った。ほどなく、僕の後ろには列ができはじめた。

横浜市営地下鉄運転再開のアナウンス。5分ほどして横浜方面の列車がホームに入ってきた。その時点で、すでに満員。そこにさらにホームで並んでいた人達が殺到し、列車はあっという間に超満員の状態に。なんとか列車は発車、横浜市営地下鉄は運転を再開した。

しばらくして、あざみ野方面の列車が入ってきた。なんと、乗客はほとんど乗っていない。列の先頭にいた僕は、問題なく座ることができた。時計を見ると、午後11時30分。急いで妻に、地下鉄に乗ってあざみ野を目指していることをメールした。

走行している間に、車内は満員になった。列車はゆっくりとホームから離れ、混雑の中にも車内には安堵の空気が流れた。

列車は順調に走行、意外と早くあざみ野に着いた。すでに田園都市線は運転を再開していた。日付が変わって0時1分、田園都市線に乗り換え、すぐに妻にメール。長津田に近づいた頃妻からメールがあり、つきみ野まで迎えに来ると。

0時30分、東急田園都市線つきみ野駅で下車、改札を出て駅前で待っていると、すぐに妻の運転するクルマが来た。家族も全員乗っている。

妻の運転するクルマで町田市の自宅へ。すでに停電は解消していた。水道も出るし、ガスも使える。

家の中も、特に地震の被害はないようだ。

とりあえず、早く寝たい。家族全員、家につくと寝床に直行。まだお袋に連絡がつかないが、まずは寝よう。

長い一日だった。辛い一日だった。


お袋が無事であることが確認できたのは、日曜の朝だった。従姉妹がお袋宅に行って無事を確認してくれて、連絡をくれた。やっと、本当に安心した。


そのあと、翌週も交通網の乱れにより通勤できなかったことや、ガソリンが不足してスタンドで並んで給油したこと、スポーツなどイベントが軒並み中止・延期されたこと、電池も不足して、海外出張先で乾電池を買い込んだこと、佐川急便が部分的に被災地への宅配を開始したことを受けお袋に救援物資を送ったことなど、さらには弟と一緒にGWに帰省しお袋宅の家の修繕をしたなど、しばらくは震災の影響を受け続けた。

その震災から、今日で1年。

まだ復興は進んでいるとは言えない。日本は、傷ついたままだ。






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